4プラの思い出
4プラが閉店したので、ちょっと思い出話。
先日、4プラが閉館した。
『4プラ』とは札幌の繁華街に建つファッションビル『4丁目プラザ』のことで、築50年になる建物の老朽化に伴い2022年1月で閉館となった。
私がその4プラ閉店のインターネットニュースの記事を目にしたのは昨年末のこと。
そうか・・・閉店かぁ、と少しの寂しさとともに、もはや遠く遠くになった日々を思い出した。
私が4プラに初めて行ったのは今から30年ほど前のことで、小学校3年の時だった。2歳上の姉と母親と一緒に行ったのだが、私は何もわからずに連れられて行っただけだった。
当時、札幌の中心街は地下鉄大通駅とすすきの駅周辺で、この中心街のことを「マチ」と呼んでおり、「マチへ行く」と言えば、中心街へ出掛けることを指した。
この日私は姉と母親に「マチへ行くよ」と言われ、金魚のフン状態でただ付いて行ったのだった。
地下鉄すすきの駅から大通駅までは「ポールタウン」という地下街で繋がっており、目指す4プラは大通駅側に近い場所にあるのだが、この日はすすきの駅からポールタウンをぶらぶらと歩いて4プラへと行った。
小学校5年生の姉と母親はポールタウンにいくつも並ぶ洋服屋に入ったりしていたが、当時の私はファッションには興味が無く、迷子にならないように2人の後ろを付いて回っていた。
途中でアルシュにある旭屋書店にも寄ったのだが、大型書店というものに初めて行った私は「この店にはどんな本でも売っている!」ととても驚いたものだった。それ以来、近所の書店に売っていない本があると旭屋書店まで出掛けるようになり、とても信頼を寄せていた書店であった。
玉光堂でCDを見たり、王様のアイディアでおもしろグッズを見たりして、ようやく辿り就いた4プラ。地下からエスカレーターで上に昇りながら、途中で気になった店があれば姉と母親が立ち寄り、とうとう到着した7階の自由市場。
私は今でも初めて自由市場を訪れた時のことを眩しい記憶として覚えている。エスカレーターで7階に昇ると、照明が薄暗い感じになっていて頭上にネオンライトのアーチがあった。当時の私は背丈が低かったせいもあるのだろうが、それがやけにキラキラして見えて、テーマパークの入口のようでワクワクした。
姉と母親は「あっちから見ようか」と言って手前左の店舗に入って行き、私はといえば目の前にある量り売りの外国のお菓子を売っている店のディスプレイに目が釘付けになった。テディベアーの小さいクッキーや固いグミ、たしか100グラムで400円くらいだった。
フロアには小さい店舗がいくつも入っていて、薄暗い照明も相まってカオスな雰囲気が漂っていた。露店のように大量のアクセサリーを売っている店があったが、当時の私は怖くて近づけず、その店を横目で見ながら通り過ぎた。風変りな雑貨を売っている店もあったり、モヒカンの店員さんが居たり、「自由市場」という名前も含めて、私はこの空間に一発で魅了されてしまった。「アンダーグラウンド」や「サブカルチャー」という言葉をまだ知らなかった頃だけれど、初めて触れるそんな雰囲気に惹かれたのだと思う。
それからは、マチに行く度に4プラの自由市場に寄るのが楽しみになった。小学校高学年になると友達と一緒にマチへ行くようになり、自分の行きたいタイミングで自由市場に行くことができるようになった。ただ、奥にある店にはまだ怖くて近づけなかったため、行くのはエスカレーター周辺の店に限定していたけれど。
私が自由市場の奥地に足を踏み入れたのは中学2年生になってからだった。行ってみても別に危険なことは無かったけれど、よりアンダーグラウンドな雰囲気を感じて、私はさらに自由市場に魅了されたのだった。
中古CDショップに行くとHIDEのファーストソロアルバムの初回限定版が入口上部に展示されていて、それを見上げながら「欲しいなあ」と思ったことを覚えている。価格が数万円だったので手が出なかったけれど、行くたびにまだ買い手が付いていないのを確認してなんだかホッとしたものだった。
そして私がポールタウンの4プラ入口で座り始めたのはこの頃だった。地べたに座る若者を指す「ジベタリアン」という言葉が生まれる3年ほど前のことだったけれど、私のほかにも座っている若者は当時もちらほらと居た。たまに会う人や少し仲良くなった人、1回しか会わなかったけど挨拶を交わした人など、その時にそこで出会った人達のことは今でも何人か覚えているけど、消息はわからない。少し仲良くなった人も、基本的にただ一緒に座ってるだけで、会話をしたのは少しの時間だった。断片的にお互いの事情なんかを話して、聞いて、共感するわけでもなく聞き流すわけでもなく、それが居心地良かったのだと思う。
まだポケベルですら若者の間では一般的では無かった時代だから、連絡先の交換なんてものも無かった。気が向けば座りに行って、たまたま会ったら一緒に座った。
でも少し経った頃に、座っていると警備員さんに退去を促されるようになった。それだけ座る若者が多くなって迷惑していたということなのだろう。退去を迫られたら移動するしか無いので、また座る場所を他に探すことになった。何か所か座る場所を見つけたけれど、次第にマチに座りに行くことも無くなっていった。
その後、私が高校に上がった頃くらいから4プラに行く機会も減り始め、たまに行くと以前あった店舗が無くなっていたりしていた。もともとティーンエイジャー向けのビルという感じだったから、私も成人して年齢を重ねるうちにどんどん4プラからは足が遠のいていった。
でもたまに自由市場へ行った時に、エスカレーター横のアクセサリー屋さんが変わらないスタイルで営業しているのを目にすると、ホッとしたような気持ちになった。たまに来て安心するなんて我ながら勝手な話だけども。
私の10代前半の心は4プラにあった。いつも4プラに行けば面白いものに出会えた。好奇心を満たし寂しさを紛らわして、ひと時の居場所を与えてくれた。
行き場無く座っていたあの頃から四半世紀過ぎて、ここは東京。自分の家の椅子に座ってこの記事を書いている。これからどうなるのだろう、日々そう思いながら生きているのは今も変わらないけれど。
忘れがたい思い出と感謝を込めて。
ありがとう、お疲れ様でした。
さらば、4プラ。