江戸城の中を歩きたい

江戸城
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複雑な間取りが大好きな編集長が、江戸城の中を自由に歩けるゲームを作ります。
時間がかかると思うので、ゆる~くお付き合いください。

 すっかりリヴァイの沼にはまり込んでいる私ですが、実は昔からもう一つの沼にはまり続けております・・・それは江戸城。

 城の造りが~とか、豪華な調度品が~ということにはあまり興味は無く、ただただ間取りが大好きなのです。

 狭い団地で育った反動かはわかりませんが、私は昔から広い家の間取りというものにとても興味がありました。
 ドラえもんのコミックス18巻に出てくる道具「ホームメイロ」は、家の中を迷路のようにする道具なのですが、これを使用すると狭いのび太の家の廊下が長くなったり、扉やふすまが増えたり、窓の外に出たらまた別の部屋の中だったりして、この話を読むととてもワクワクしたものです。

ホームメイロ
ドラえもんの秘密道具のひとつ

 江戸城は正に迷路であり、長い廊下や無数にある障子・杉戸、開かずの間までありました。江戸城の図面を眺めていると、大広間や松の廊下よりも、小さい部屋や細い廊下のほうに私はロマンを感じます(より迷路っぽいから)。

 さて「江戸城」と聞くと皆さま何を真っ先に思い浮べるでしょうか。名古屋城しかり大阪城しかり「天守閣」を思い浮べる方も多いのではないのでしょうか。
 しかしこの日本の「城」の顔ともいえる「天守」は将軍や殿様の生活の場ではなく、生活の場はあくまでも「本丸御殿」と呼ばれる平屋の建物なのでした。
 しかも江戸城においては、明暦の大火(1657年)で天守が焼け落ちて以降は再建されず、天守台のみが築かれました。この天守台は現在でも皇居東御苑内に残っているもので、加賀藩の前田家が幕府に命じられて造ったそうです。

在りし日の江戸城天守・イラスト
在りし日の江戸城天守・イラスト

 江戸城の本丸御殿の敷地は、およそ11000坪だったそうです。その本丸は「表」「中奥」「大奥」の3区画に分かれており、中でも将軍の妻や側室・奥女中などが生活する「大奥」は、広大な本丸の半分以上の敷地(約6300坪)を占めていました。

江戸城本丸御殿の略図
江戸城本丸御殿の略図

 「表」は主に幕府の役人が勤務する場所です。
 幕臣たちが江戸城に出勤した際は、基本的にそれぞれの役割・職務に必要な勤め部屋とロッカールームを行き来するだけで、他の場所へ立ち入ることは基本的には無かったことと思います。

 「表」から将軍のプライベートスぺース「中奥」へ行ける人間は多くはありません。老中やお側仕えの数少ない人間のみです。
 表と中奥を行き来できる出入口は2か所ありましたが、基本的に中奥で務める人間は表へ出ることは無く、表で務める人間は中奥へ入ることは無く、どちらも人の出入りが厳しく管理されていました。

 「中奥」は大奥と表の中間に位置しており、将軍のプライベートな生活の場所となっています。大奥に泊まった時であっても、朝に目が覚めると将軍はいったん中奥に帰って朝ごはんを食べ、1日のスケジュールを開始することになっていたようです。
 そして中奥では将軍の身の回りの雑務をすべて男性が取り仕切っていたそうです。

 「中奥」と「大奥」はそもそもの建物が分かれており、その間には銅塀が築かれるほど厳重に大奥は外界と隔絶されていました。建物同士を繋ぐ廊下2か所が出入口となっており、出入りは厳しく制限されていました。
 「大奥」に入ることができる個人男性は基本的には将軍だけですが、長い歴史の中ではごくごく例外的に御台所が老中などを呼び出して大奥の対面所で話すこともあったようです。

 また、大奥には男性役人が働く「広敷」という場所があり、御台所や将軍生母・側室などの事務作業や警護を行っていました。この広敷向から将軍家族の居住する「御殿向」や奥女中たちが居住する「長局向」にはもちろん自由に移動することは出来ず、各エリアの境には門やお錠口が設けられていました。
 そのほかにも大がかりな掃除をする際には複数人の表仕えの男性たちが大奥に入って掃除をしていたそうですが、その場合は大奥の女性たちがその男性たちと遭遇することが無いように大奥を2エリアに分けて工夫していたそうです。

 だいたい400~500人ほど勤めていたともいわれる奥女中の居住区「長局」は、広い大奥の中でもけっこうな敷地を有しています。
 奥女中の花形の役職は、将軍の妻である御台所や将軍の生母や側室などのお側仕えである御中臈だと言えると思うのですが、そのほかの雑務を行う奥女中のほうがはるかに人数は多かったことと思います。

 食事を作る役職や衣服を作る役職、そして掃除をする役職、火の番などなど、長年大奥で働く奥女中たちでも、その役職に応じた詰所以外の場所に行くことは基本的には無かったかと思います。
 そして高級女中になると、居住する長局に部屋方や部屋子などを置いて身の回りの世話をさせていましたが、この部屋方や部屋子は大奥のお座敷に出ることは禁止されていたそうです。

 このような「立場」や「役職」ごとに実質立ち入ることが出来る・出来ない場所が存在するというルールにも面白さを感じます。
 私はパズルが好きなのですが、「本丸御殿」という迷路に「立ち入りルール」が加わることで、何ともいえないパズル要素を感じます。

 というわけで、このパズル要素を何とかして楽しみたいと思い、ゲームを制作することにしました。
 PCで動作する2Dの見下ろし型ゲームで、江戸城思う存分歩き回れるゲームをまずは目指そうと思っています。

 今のところ下記の動画のようなグラフィックのゲームになる予定。

 マップを作成するにあたり悩ましいのは、いつの時代の図面を参考にするかなのですが、私は文久年間に作成されたと伝えられている図面を参考にしています。

 徳川家が江戸城を居城にするようになって265年ほどの間に江戸城は数回火事で焼けており、再建をして少しずつ間取りが変わっていきました。
 私が参考にしている文久の図面が描かれたすぐ後にも本丸は火事になり、もはや再建することも無くそのまま江戸幕府に幕をおろすこととなりました。

 なので、この文久の図面は江戸城の間取りの最終バージョンなのだと思います。私は江戸末期の歴史に興味があるので、天璋院や和宮が暮らして居た時代の間取りだと思うと想像が膨らみます。

 ゲームを作るにあたり江戸城の間取りを正確に再現したいと思っていますが、残されている図面自体が正確では無い(ビミョーに歪んでいる)ことと、基本は平屋建築の本丸にところどころあった2階についての情報が不足していることもあり、なかなか難しそうです。

 なので、あくまでも"可能な限り"正確な間取りを再現しようと思います。

 資料がたくさんありそうな江戸東京博物館は2025年まで改修工事のために閉館しているので、リニューアルオープン後に資料を集めて2階部分を作ることになりそうかな・・・。

 進捗状況は不定期に記事を書いてお知らせしようと思います。
 そのほか江戸城の細かな決まりなど、江戸城にまつわる話を備忘録も兼ねて記事にしていこうと思います。

 江戸城や間取りに興味のある方は、よろしければお付き合いくださいませ~。

参考文献
『江戸城-本丸御殿と幕府政治』 深井雅海 (2008,中公新書)
『図説 江戸城の見取り図』 中江克己 (2010,青春出版社)
『御殿女中』 三田村鳶魚[著]・朝倉治彦[編] (1998,中公文庫)
『【決定版】図説 大奥のすべて 衣装・御殿・全職制』(2011,学研)
『歴史群像シリーズ特別編集【決定版】図説 江戸城 その歴史としくみ』(2008,学研)
『復刻古地図 江戸城本丸詳図』(人文社)
(ライター:たてめ)
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